親の気づき・子の想い

 このコーナーでは、不登校を体験した本人や、家族から寄せていただいた文章を載せていきます。
不登校は誰にでも起こりうる可能性があるものと言われてはいますが、いざ自分や家族に降りかかったときの苦しさや、戸惑いは計り知れないものがあります。このコーナーではそんな体験を通して、不登校を自分を見つめなおすきっかけとし、受け入れつつ今を自分らしく生きている人たちの体験を載せていきたいと思っています。(当面は西の平通信バックナンバーからの抜粋になります)

バックナンバー
NO.3「学校へ行きたくなかったあの頃
NO.2 「カラ回り」
NO.1声を出して泣いたのはいつ?

子どもが教えてくれたこと             
フリースクール西の平代表 池田 朋子
 先日、昔読んだ子育てに関する本を見つけ、パラパラと読み直してテーブルに置いていたら、それを見た15歳の息子が、「何をいまさら子育ての本なんか読んでいるの」。私は、「いやあ、子育て間違っちゃったかなと思ってね」と冗談めかして言ってみました。息子は、「それはないだろぉ。自立するのは少し早いかもしれないけど」と、事も無げに返してきたのです。
 
 彼はこの3月に義務教育を終えて、約5年以上に渡って付き合ってきた不登校の身分?ではなくなったのです。もちろん進学も就職もしていない身分不定状態なのです。世間一般から見ると子育ては見事に失敗の結果に見えるかも知れないが、なぜか、いま息子を安心して見ていられるのです。
 
 『自分の行動を自分で決めることができる、そして、結果について責任が持てること』。このことを日常の小さなことで子どもたちから奪っていた自分が居たことに気付いたのは、彼が不登校を始めてからかなりたってからでした。
 学校に行けなくなって彼が私にぶつけてきたのは、『お母さんが僕をこういう風にしたんだ」「どうせ不器用だし」「運動だって苦手だし」でした。つぎつぎと出される否定的な言葉はまぎれもなく私が日常口にしていたものだったのです。
 3人兄弟の末っ子の彼は好奇心旺盛、とにかく自分で気の済むまでやってみたい性格でした。本の付録のおもちゃの組み立てを一生懸命やって失敗して癇癪をおこしている息子に対して、「まだあなたには無理なのよ」とばかりに手先の器用なお兄ちゃんに頼んだり、さっさと直してしまうとますます癇癪をおこして出来上がったものをぐしゃぐしゃにしてしまうのでした。「ちゃんと作りたかったのに出来なかったんだね」「いまとっても悔しいんだね」と子どもの気持ちに添うだけで良かったはずなのに、本来子どもの目標であった『おもちゃを完成させる』と言う部分を奪ってしまった上に、『あなたには出来ないのよ、ほら、お兄ちゃんやお母さんならすぐ出来るでしょ』というメッセージを送ってしまっていたのですから、彼が癇癪を起こすのも無理は無かったのです。
 
 このことに限らず、本来子どもに任せなければいけないことを先取りしてしまっていたことのなんと多かったことか。そして、それは彼の持っていた好奇心と集中力、粘り強さ、自分に対する厳しさ等を少しずつ削ぎ落とし、自己否定につながっていったのだと思います。
 自分をしっかり持っているが故に癇癪を起こして親に訴えていたことに気付かずに素直じゃないと決め付けていたのです。素直だと思っていた姉と兄が、実は物言えぬ子どもたちだったのかもしれない(親が言わせなかった)と気付いたのは、娘と買い物に行ったときに、「どうせお母さんは私の選んだものは気に入らないんでしょう」と初めて言われたときです。親としては汚れにくいもの、洗濯しやすいものとアドバイスしているつもりだったのに、結果として子どもの選択を次々と否定してしまっていたのです。それまでの私なら気にも留めなかったと思いますが、ふと思い当たるところがありました。
 「子育ては親がしっかりと躾をすること」と思っていた自分の考えが末っ子の不登校により打ち砕かれ、何かにすがりたいと思い読みあさっていた冒頭の本の中にも書かれてはいたのです。すぐには受け入れることが出来なかったのですが(自分の間違いを認められなかった)、素直な子どもの反対にある『親に言い返せない』部分に気付かせてくれたのも、彼の不登校がきっかけになったのです。
 
 久しぶりに手にしたその本の中には、「子どもの能力を信じ、任せること」「親と子どもは平等です。子どもを尊敬し、信頼すること」「親も完全でないと認めること」「子どもだけが大切と考えないで、親がハッピーであること」等のことが具体的な例を挙げて書かれていました。
 今になれば一つ一つ受け入れられるのですが、当時の私には無理難題を突きつけられたような気がして具体的な場面の中ではほとんど実行していなかったのです。それでも子どもたちのちょっとした変化や言葉を少しずつ感じることが出来始めていたのかもしれません。
 どんなに素晴らしいアドバイスでも、本人に受け入れるだけの心のゆとりが無いと反発の材料にしかならない場合もあります。そのゆとりの無さを生んでいた要因に、〜らしさ、〜のようにあるべき、という世間の評価を気にする自分がいたのです。

 心配をして電話をかけてくれた人にさえ、素直に応じられなかったあの頃、それでもまわりには息子に余計なことは聞かずに声をかけてくれる大人がいて、変わらずに遊んでくれる友達がいました。
『不登校は悪いことではない』と妙に力がは入っていたはずなのに、気にせずに付き合ってくれたたくさんの人がいてくれたこと、それがゆとりにつながっていったのかも知れない・・・と、今だからいえるのですね、きっと。
     「宮城にフリースクールを創る会」会報「ぽれぽれ28号(2000年8月1日発行)」より

 今回は自分自身の体験を載せました。2年ほど前に書いたものです。最後に書いてありますがいろんな人に支えてもらい、親子で孤立することなくいられた事が私にとっての救いでした。ただ誰もが回りに支えてくれる人がいるとは限りません。そんなときに安心して話を出来る場所があったらいいなと思ったことが、私がフリースクールをやろうと思ったきっかけです。
 親は将来のことを心配するあまり子供の今のつらさをなかなか見ようとしません。子どもの本当の辛さを感じることが出来たとき初めて親は何をしなければいけないのかが分かるのだと思います。
そんなもう一つの体験談をこちらのホームページに書かせていただきました。
→ 子育て支援情報


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